・・・昨日の投稿から少し修正しました・・・

7月末に息子憧れのヒーロー、ゴルゴから来た一通のメール

「9月の3連休あたりで富士登山企画を打とうと思います」

来た、来た~!

さかのぼること2年前の年末、たった4家族しか参加しなかったホールアース自然学校での、今はなき「森と畑のようちえん」にて盛り上がった「富士登山2ヵ年計画」。

富士山に登りたいけれど自信のない家族に向けて、1年目は、体力に自信のある家族の代表者が登山、残りのメンバーは「ベースキャンプ」にて、サポートおよび別企画。

そこから1年かけて体力づくりをして、翌年は皆で富士山に登ろう!というもの。

酔った席での夢物語、そのまま立ち消えになるかと思っていましたが、形を変えてゴルゴが企画してくれました。

8月に来た詳細連絡では、「富士山に登りたい人は、今日から毎日5km走る程度の運動をするように」との指令。

その時点では私も少し惹かれるものがあり、秘かに会社の階段(地下から5階まで)の上り下りをしていました。

しかしこの猛暑の中、思うように運動も出来ず、さらには、9月に入るとほとんどの山小屋が閉じてしまうという情報。

そして最大の難関は、私の気圧変動に対する弱さ(台風が来ていても頭痛や吐き気がします)。やはり今年は無理かと断念しました。

一方、当然行く気の夫は、いつの間にか高い装備をそろえたり、帰宅後私が家事育児でてんやわんやしているのに、こっそりと(←これは、あくまで私の印象です。夫曰く「別にこっそりとしていない」)一人で買い物に行ったり・・・。

これに、最初の頃は、少しむっとすることもありましたが、酷暑の中を古雑誌を詰めたリュックを背負い、ハイカットの登山靴を履き、坂道だらけの自宅周辺を走る夫を見て、彼の本気度合いに気づき、私もベースキャンプ組として応援をする気になりました。

そして、夫婦での話し合い。身体も大きく、体力がある息子とは言え、やはりまだ2年生。夫も未体験の富士山に連れて行くことで、万一のことがあったり、他のメンバーに迷惑を掛けることはできない、今年は諦めさせよう、という結論。

大山登山の後、夫から息子への宣言。

それまで登る気満々だった息子は泣きました。でも、心を鬼にして、言い聞かせる私たち。

事前の情報では、富士山に登るのは大人数名と、息子より少し年上で、体力、運動神経ともに抜群に優れた男の子。彼らなら大丈夫だろう、夫が最初に脱落するかもしれない・・・というようなメンバー。

ところが当日行ってみたら、なんと息子と同じ2年生(しかも、普段から食も細く体力もあまりないかと思われた子)2人とお母さん1人も参加するとのこと!少しショックを受けるけれど、ぐっと我慢する息子。

3連休の初日に富士山の麓のキャンプ場に現地入り。8時就寝の登山組に合わせて全員早めの就寝。

2日目、登山組は、3時に起床して、5合目まで車で移動。6時起床の「ベースキャンプ」組は、ふもとで散策。

のんびり雄大な自然を堪能しながらも、時々来る夫からのメールが気になる私。

計画では、5時に五合目出発、12時登頂、18時戻りの予定。

7:43 「ようやく六合目」
7:55 「遅れ気味ですが天気は良いです」
9:03 「いま七合」
10:33 「Yくん父子、Kくん母子 遅れています」
11:23 「海抜3200 Kくんのみ復活。Yくん父子、Kくん母は、下山中と思われます」
12:04 「なんとYくん父子奇跡の再合流。みんなで昼食中」
13:00 「まだ全員で本八合」
14:47 「Kくん母以外全員無事登頂!」

即座に「ベースキャンプ」組に報告、思わず出る歓声!

(しかしすごいですね・・・最近は、富士山でもケータイが通じちゃうのです!)

夕方にキャンプ場に戻った「ベースキャンプ」組は、「どんな顔をして帰ってくるだろう?」と話し合い、お風呂を空けて、ご飯を準備し(大半はケータリングでしたが)、食べずに(結局食べちゃいましたが)楽しみに待っていました。予定より大幅に遅れた21時近くに、登山隊の凱旋。

全員すごい日焼けをし、疲労のあまり別人のような顔をした人、完全に深い眠りに入り、引きずられている子・・・等々。

下の子を寝かしつけ中のお母さんに代わって、引きずられた子を抱き上げ、布団に寝かせながら、よく頑張った、と思わず涙がこぼれました。

3年近く、毎月のようにお百姓仕事をしながら成長を見守った子ですから、もはや「他人の子」ではないのです。

そして、最後に比較的軽い足取りで、ニコニコと現れた夫。

後からたくさんの複雑な思いを語ってくれた夫。トレーニングの成果があったのか、もともと山に強い体質体型もあったのか、もちろん天候のよさも手伝って、頂上まで行っても、全く空気の薄さを感じなかったのだそうです。

心拍数も変わらず、曰く「ダッシュしろといわれたら多分出来たと思う」と。

そんな幸運もあり、初めてながら、子どもたちの面倒を見たり、最後には高山病でダウンしまった子を背負ったゴルゴの20kg近い荷物を背負ったり、ゴルゴのお手伝い1号として動くことができたそうです。

グタグタにばてているけれど、どうしても登りたいと頑張る子どもたちの世話を、自分のことで手一杯の親に代わってしながら、今年は断念した息子の泣き顔を思い出したり、自分を責めたり、少し憤りを感じたり。

「やらない後悔より、やる後悔」とよく言われます。

チャレンジする勇気を持った人が成功すれば称えられます。

失敗しても、「よく頑張った」と言われます。もちろん、それらは賞賛されるべき立派なことですし、最初にチャレンジするのは、本当にすごいこと。

だけれど、今回に関しては、私は、不甲斐なさを感じながらも、他の人たちのために献身的に動いたであろう夫、悔しさを見せない努力をした息子、自分の分(ぶ)を考え断念する勇気を持った彼らを誇りに思っています。

私一人くらいは、彼らを褒めていいかなぁ、と思います。

登りもしなかったくせに、何をえらそうな、と言われるかもしれません。でも、私たち家族には、やっぱり未知の山、日本一の霊峰に充分な準備をせずに登ることは出来ませんでした。

来年もこの企画があるかわかりませんが、もしも実現するならば、息子には、この山に対する畏敬の念を持って、できる限りの心と身体の準備をさせて、チャレンジさせてやりたいと思います(私自身は、行けるかわかりませんが・・・^^ どなたか、高山病克服の方法を教えてください)。

帰宅して、言われないでも自分の荷物を全部きちんと片づけた息子を、ぎゅっと抱きしめてやりました。

(富士山の写真は、同じキャンプ場から見た今年5月の富士山。今はこんなに雪は積もっていません)