息子は、小学4年生まで地元の公立小学校に行っており、5年生から本人の強い希望で今の学校に転校しています。
公立小学校でも楽しく充実した毎日を過ごしていたので、年齢が違うとは言え、比較的公平に状況を観察・体験できる立場にいるものと思われます。

理想郷のようにも見える今の学校ですが、もちろん毎日何のもめごともなく過ぎていくわけではありません。毎週行われる全校ミーティングでは、さまざまなトラブルに関しても話し合われます。

息子曰く、「いじめだって、ないわけじゃないよ」。

でも、そこには、あの学校の子どもたちなりの知恵がちゃんとあるのです。

息子によれば…

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普通の学校だと、例えば誰かが仲間外れにされていたら、みんななんとなく関わらないように、遠巻きに見るような感じ。

仲間外れの人に声を掛けたいなぁって思う人もいるかもしれないけれど、そうするともしかしたら自分も仲間外れにされるかもしれないって思っちゃう。

あとは、最初に声を掛けるのはすごく勇気のいることだから、誰かが声を掛けるのを待つかも。2番目だったら声を掛けられる人もいのだけれどね。

今の学校でも、いじめとか仲間外れがないわけじゃない。
でも、その子が戻ってこれるように、誰かが声を掛ける。自分が声を掛けたからって、自分までもが仲間外れになるかもって心配は誰もしていない。

1番目に声を掛ける人は、必ずいる。
それは、仲間外れとかって時だけじゃなくて、なんでもそう。例えば、何か役割を決める時に、誰もやりたい人がいなかったとしても、しばらく待てば誰かしらが必ず「じゃあ、やるよ」って言う。
いっつも同じ人じゃなくても、いろんな場面において、必ず誰かが「じゃあ、やるよ」って。
(ここは、昨日書いたユースフルワークと同じ流れです。)

なんでかって言うと、失敗することが許されるから。
普通の学校だと、失敗したらアウトって雰囲気がある。でも、この学校では、失敗するのは当たり前。やるよ、って言って失敗したからって、別に構わない。また次やればいい。

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中学生になったら、いろいろある。不貞腐れたような気持ちになったり、誰ともしゃべりたくないような時だってある。

この学校は、大人も子どもも距離感が上手。
誰でも放っておいてほしい時はあるはず。そんな時には、みんな放っておく。
でも、ずっと放っておかれると、今度は戻って来たいと思った時に、戻って来づらくなっちゃう。それは、みんな知ってる。
だから、ある程度時間が経ったときに、だれか1人とか2人とか、なんとなく近くに寄って行ったりとかする。
なんとなくその時々で役割があったりする。みんな違うから。

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中学生の息子の口からこういう言葉が出てくることに、ひたすら感動していました。
「いじめ」について、何一つトラブルがない学校と言うのは、もしかしたら日本には存在しないかもしれません。
でも、小手先の対策や、漠然とした「空気を読め」ではなくて、もっともっと本質的なことがわかっているからこその、この言葉なのではないかと思います。
学んだこと、と言うより、きっとほとんどの人はもともと持っている本質。これがちゃんと正しく開花しているように思います。

「いじり」みたいなのは、あるよ、と言った息子に、「いじり」と「いじめ」の違いは何なの?と聞いたところ、当然とばかりに返って来た言葉は、「本人が嫌がっているかどうか」。

そして、「いじり」と言うのは、その時々でいろいろな人がされたりするけれど、その場で消えるようなもの。しつこく何度も同じ人に対して繰り返されるようなのが「いじめ」になっちゃうんじゃないかな?と。

「余計な手出しをせずに、じっと待つ」
そして
「常に失敗は許される」。

全てにおいて貫かれている学校の教育方針、姿勢の結果は、あらゆるところに出ているように思います。

息子は、普通のことのように淡々と話してくれました。
特別な学校でなくても、家庭でも、少し意識するだけで考え方はがらっと変わってくるように思うのです。
草の根運動のように、少しずつそんな精神が広まっていくといいな、と思い、発信し続けます。

こちらの写真は、富士山の見えるグラウンドでの避難訓練の様子。

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