昨日は、職場の送別会でした。

私は、あまりお酒は飲めないのですが、長く一緒に働いてきた仲間の集まりで、昨日はずいぶん遅くまで遊んでいました。

出て行かれる方たちは、二人とも、とても優秀な技術者なのですが、お一人が「一言、言わせてください」と立ち上がりました。
そして、熱く語っていたのは、「結局は、愛なんです、愛!」。

私たちは、高価(だけれどもマニアック)な装置をたくさん使ってサンプルを作ったり、実験をします。技術の粋を集めた装置も、ちょっと古くなった装置も、上手に使いこなして、よい結果を出すのは、結局は、「装置に対する愛」なんだそうです。毎日、語りかけ、汚れたら拭いてやり、機嫌が悪かったら待ってやる・・・というような。

一見、突拍子もないことのようですが、実は、そういうことってすごくある、というのを感じている人は多いのではないかと思います。

私自身は、ある製品の研究開発に携わっていた期間が長かったのですが(現在は、その同じ製品の解析)、無機質なその製品の材料と毎日毎日向かい合い、語り合い、その材料の「気持ち」などを考え、悩んで悩んで悩んでいると・・・ある日突然その製品の「神様」が降りてくる、あるいは手を貸してくれる時があります。

それは、ひょい、と解決の糸口が見つかったり、あるいは、ふっ、と目に止まった一見何の関係もなさそうな文献が重要なヒントを与えてくれたり。はたまた、寝ている時に、いきなり特許となるようなアイディアがひらめいたり・・・。

あるいは、こんなことも。

私は、中学生の時、父の仕事の都合で海外にいたことがあるのですが、普通の公立学校に入ったものの、言葉が全くわからず毎日大量に出る宿題に泣かされていました。父が学生の頃使っていたという古い辞書を肌身離さず持ち歩き、わからない言葉があるとすぐに引き、ぼろぼろになるまで使い込んでいました。

そうすると、不思議なことに、辞書の「神様」が降りてくるようになるのです。いつの間にか辞書と気持ちが通じるようになり(!)、ぱたん、と辞書を開けると調べたい言葉がそこにある、なんてことは日常茶飯事となりました。そんな頃から急に外国での学生生活が楽しくなってきたように思います。

また、ホメオパシー学校の先生は、こんなことをおっしゃっていました。

「毎日、少しの時間でもいいから、レパートリー(ホメオパシーのレメディを探すのに用いる、辞書のような分厚い本)を触りなさい。目にとまったところを、読むなり、眺めるなりしなさい。そうしていると、いつかきっといいことがあります」と。それは、ただ単にレパートリーを暗記しなさい、とかそういう話ではないのだと感じました。

「自然のぬくもりが温かい」、「無機質なものは冷たくて人間となじまない」など、自然派の方々の間ではよく聞きます。それはそうかもしれない、リノリウムの床より、無垢の木の床の方が裸足で歩いていて、気持いい。プラスティックのお弁当箱より、木のお弁当箱の方が、ご飯は断然美味しい。人と人のつながりが一番大切・・・もちろん、そうです。

だけれども、今の時代に生きている以上、化学製品、工業製品のお世話にならないわけにはいかない。同じ一緒に生きて行くのであれば、そういうものにも愛情を注げば、何らかの形で答えてくれるのかもしれません。

科学の世界で生きて行くにしても、癒しのお手伝いをするホメオパスとして歩んで行くにしても、時に「神様が手を貸してくれる」、愛情をもって、そんな仕事をしたいものです。

写真は、私が使っている装置(メーカーさん提供のもの)です。