息子は、学校や学童で悲しいこと、嫌なことがあってもほとんど口にしません。

ずっと以前に、こんな話をしたことがあります。

私「悲しいことや、嫌なことがあったら、いつでも言ってもいいんだからね。お母さんに言うのが嫌だったら、保健の先生でも、○○さんでも、ゴルゴでも、お友達のお母さんでも」

息子「ううん。大丈夫。」

私「悲しいことはないの?」

息子「そりゃあ、あるよ。でも、悲しいことは、寝る前に風船に詰めて空に飛ばしちゃうから大丈夫(火をつけて、花火にしちゃう、というバージョンもあり)」

私「そっか。あなたは、それができるんだぁ。すごいね。でも、悲しいことが心の中にたくさんになっちゃって、心がパチンと割れちゃったら大変だから、そういう時は、心が割れる前に言っちゃっていいんだよ。そしたら心の中が軽くなるから。」

息子「わかった。でもね、そういうこと(嫌なこと)は、心には入れないんだよ。頭に入れるの。心の中は、お母さんでいっぱいだから」

こんな話、私が息子にしたことはありません。もちろん、保育園の先生だって。どうやら息子が一人で編み出した方法らしいのです。胸がいっぱいになりました。

2年生になって2週間ほど経った寒い、寒い日のこと。トイレの近い息子が授業中にトイレに行きたいと申し出たところ、先生は、クラス全員にその是非を問うたのだそうです。「本当は、いけないことなんだけれど、○○くんは、トイレに行きたいと言っています。いいですか?」と。

クラスの前で恥をさらされた、と感じた息子は、それ以来、先生に何も言えなくなりました。トイレが我慢しきれず、漏らしてしまったことも。

今日は、個人面談。先生に言っておいてほしいこと、嬉しかったことでも、嫌だったことでも何でもある?と聞いたところ、きっぱりと「なんにもない」と言う返事。

あの事件のことは、言わなくていい?と聞いたら、「ああ、ああいうことは、もうやらないでほしいっていうのは、言ってほしい」と。

私「あれから後も、そんなこと(クラスの前で裁判のようなこと)があったの?」

息子「僕は、あの1回だけ。だけれど、△△くん(少し発達に偏りのあるお子さん)とか、よく言われて、可哀想だよ・・・」と。

ついつい、あの人が悪い、私が被害を受けた、あなたのここを直してほしい、と思ってしまいがちな私。

なのに、息子のなんと器の大きいことか。クラスの前で恥ずかしい思いをして、本当に傷ついたと思うのに、それを自分の糧にして、人を思いやる心をはぐくむ力を、いつの間にか身に付けていたようです。

深く学ばされました。

今日は、個人面談。どんな話が聞けるでしょう。