本当は、書こうと思っていたことが色々あるのですが、7月に登って大好きになった木曽御嶽山の噴火に伴い、なんだか色々考えさせられたり、へこんだりしてしまい、どうにもうまく書くことができません。

「登山が趣味」と言えるほどに極めているわけでも、知識や経験があるわけでもありませんが、よき師匠や仲間に恵まれ、子供連れで3000m級も含む沢山の山を楽しんでいます。

私自身が、小学生の頃に山での落雷に遭ったこともあり、少し大げさな書き方ではありますが、他のことよりも「命」について考えながら活動しているように思います。

山に登る、ということは、「ごめんください」と言いながら、そこにある大自然の中に身をおかせていただく、ということ。

だから、少なくとも私にとって、山は「征服する」ものではありませんし、山では山のルールには従わなくてはいけないと思っています。

さらには、登る人として気をつけたいこと。

自分の命を守るために、どんなお天気の時でも必ず自分の水と防寒着(レインウェア)を背負っていく。

自分の脚で登って降りられる程度を見極め、無理をしない、させない。

そして、必ずお互いの姿が見える範囲で行動し、気にかけ合う。

でも、いくつもの山を登り、子どもたちが大きくなるにつれ、だんだんとこれらのことが曖昧になってきているなぁ、と少し反省もしていた今年の夏でした。

そして今回の自然の驚異。

「なす術もない」とは、まさにあのようなこと。

どれだけ気をつけていても、巻き込まれてしまったら、どうすることも出来なかったと思います。

私たちだって、巻き込まれていたかもしれない。

突然の爆音とともに真っ暗になり、一緒に歩いていた仲間の姿さえも見えなくなってしまったとのこと。

ゴロゴロと岩や石がある歩きにくい場所にさらに灰がたくさん積もった状態で「走って降りた」というのは、どんなにか恐ろしい状況だったことでしょう。

ようやく新しい山小屋が完成しました、とニコニコされていた山小屋のみなさんは、どうされているのか、どのような気持ちなのか。

あの愛らしい雷鳥たちは、大丈夫だったのだろうか?

可憐な高山植物は、来年も花を咲かせることができるのだろうか?

そんなことを思うと、胸が潰れそうな気持ちになります。

霊峰木曽御嶽山の神様は、何を思っておられるのでしょうか、私たちに何を伝えたいのでしょうか。

答えが出ないままに、ぐるぐると考えているここ数日です。