先週末は、ホールアース自然学校 森と田んぼのようちえんでした。
一年間を通じて行った田んぼ仕事の最終回、メインイベントは、昨年度と同様「アイガモをいただく」。
田んぼで、稲と一緒に育てたアイガモは、次年度は、もう大きすぎて田んぼに入れることができません。ですので、そのままペットとして飼うか、食用として有り難くいただくか・・・しかないのです。
昨年の夏に初めて田んぼに放ったアイガモは、生後二日の、それはそれはかわいい30羽の雛たちでした。
弱くて死んだもの、テンやタヌキにやられたものなどあり、半分以下まで減ってしまいましたが、田んぼの雑草を食べ、水かきで土に空気を入れ、肥料となる糞をし、お米と共に、徐々に大きくなり、立派な成鳥になりました。
他の動物と同様、エサをやったり、汚れた巣を綺麗にしてやったり、大切に育てたアイガモですが、最初から「これは家畜です」と言われ、名前など付けることもしませんでした。
そういう意味では、この日が来ることを頭の片隅に置きながら、半年あまり育ててきたことになります。
私たちが生きていくためには、食べなくてはいけない(食べずに生きている方も、世の中にはたくさんいらっしゃるそうですが)。
食べる、ということは、他のものの命をいただくこと。それは、菜食であっても、肉食であっても、かわりないことです。
産業の分業化が進んだ今の日本では、お店に行けば簡単に肉や魚が手に入り、私たちが自分の手で生きているものの命を絶つ必要はありません。
「自分で食べるためには、自分で殺さなくてはいけない」などと言うつもりは全くありませんが、「食べる」ということをもう一度考え直すため、今回の「アイガモをいただく」は、田畑で野菜や穀物を育てるのと同様、小さな人にとっても、大人にとっても大切な経験だと考えています。
とは言っても、正視するのは、愉快なことではありません。
映像で見るのとは異なり、アイガモの緊張している雰囲気、観念したような眼、体温の変化、におい、震えが、ダイレクトに伝わってきます。
昨年は、少し遠巻きにしか見ることができませんでしたが、今年は、もう最後の経験になるかもしれないので、しっかり記憶に残そうと自分に言い聞かせました。
小さな人たちは、それぞれの年齢、性格によって、色々な反応、対応を見せていました。
どの程度まで立ち会うかは、それぞれの子の感受性と判断に任せ、大人が口を出すことはしませんでしたが、一人ひとりの心の中に何かしら残ったのだと思います。
今回絞めたアイガモは、3羽。前日から何も食べずに腸を空にしてもらっていました。
できるだけ苦しまずに、綺麗に旅立ってもらうため、逆さに釣るして羽交い絞めにし、よく切れるナイフで頸動脈を切る方法を取ります。
3羽のうちの1羽は、夫が頸動脈を切る担当に手を挙げました。
この方法、上手に行えばアイガモが暴れたり、血が飛び散ったり、断末魔の叫び声を上げたり・・・などと言うことはなく、比較的苦しまずにすみます。
それでも、思いのほか時間がかかるのです。
きちんと計っていたわけではありませんが、切ってから完全に絶命するまで30分程度でしょうか?その間、夫ともう一人途中で交代した方は、ずっとアイガモの頭をおさえていました。静かだけれど緊張感のある時間です。
ようやく絶命した後のアイガモは、脚と羽を切った後コートを脱がせるように皮をはいでいきます(ここも、私は手を出すことができませんでしたが、それなりに固そうでした)。
さらに、首を切り落とし、内臓を取り出します。いただけるものは、全部いただくので、傷つけないように丁寧に一つ一つの臓器を切り離します。
そして、手間のかかる皮から羽を取る作業。
75℃位の熱いお湯に漬けて、羽やら毛やらをむしる作業は、とても根気がいります。別の部隊は、肉やら内臓をさばいています
たった3羽のアイガモが、お肉屋さんで見るような状態になるまで、大人10数人の手で3~4時間かかりました。「毎日お肉をいただく」ということが、どんなに贅沢で、ある意味「不自然」なことなのか、ということが実感されます。
レバーや、ハツ(心臓)は、生でいただきました。
こちらは、事前にスタッフの方が絞めておいてくださったアイガモを使った「スタッフド ダックのダッチオーブン焼き」。
こちらは、胸肉のスモーク(ナラ)。
普段は野菜たっぷりと白いご飯がメインのホールアースご飯ですが、今回は、二日目の「アイガモカレー」に至るまで、最大の贅沢をさせていただきました。
この3週間ほど、「いのち」に関して、いつも以上に考えることの多い日々でした。
何者も犠牲せず、誰にも迷惑をかけず生きることは、少なくとも私には不可能です。
だけれども、私のために犠牲になってくれたたくさんの「いのち」や「時間」に恩返しをするのは、すなわち、一日一日、一時一時を丁寧に生き、一つ一つの事柄に誠実に向き合うことなのだろう、という想いを新たにしました。
明日は、森と田んぼのようちえん、もう一つの作業「田んぼの畦きり、溝きり」のことを書きます。
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