今年も、ホールアース自然学校「森のようちえん」シリーズ卒業生仲間で、富士登山にチャレンジしました。
さまざまな思いのあった去年の記事はこちら

ゴルゴから企画立ち上げのメールが来たのは、6月上旬。今回はシーズン真っただ中の8月20日決行とのこと。そして登山口は富士宮口。

充分に吟味し、話し合い、今年は家族3人でチャレンジすることにしました。

昨年の経験もあり、どうやら登山向きだと分かった夫はまず大丈夫でしょう。

そして、毎週ハードなラグビーの練習をこなし、夫の体質を受け継いでいる息子も3年生ながらきっと頑張れる。

問題は、人間気圧計かと思うほどに、気圧の変動に弱く、すぐに頭痛でダウンしてしまう私。

でも、私にもどうしてもチャレンジしたかった理由があります。それは、願掛けのような想い。

1つは、2月に大きな手術をし、現在もリハビリ病院に入院中の父の回復を願って。

そして、もう1つは、いまだ先の見えない原子力発電所の収束と、子どもたちの健やかな未来、もっと直接的に言うと綺麗な環境と原子力に頼らない社会への祈りを込めて。

登るからには、私にも、他のメンバーに迷惑をかけたくない、という強い思いやプライドがあります。

「才能のない人は、努力で補う」が私の信念。途中で断念せざるを得ないかもしれないけれど、できる限りのことをしてみよう、と自分なりに努力をしてみました。

お風呂の前に冷房のない自宅の階段を50往復したり、時間をみつけては市民プールで2000メートル程度泳いだり、身体の使い方を学ぶためのトレーニングを受けたり、呼吸法の練習を行ったり・・・。

きちんとした眠りを取ることが大切だとはわかってはいましたが、集合の前日は、緊張のあまりなかなか寝付くことができませんでした。

さて、いよいよ集合(登山前日)の金曜日。あいにくのお天気・・・というより、雷警報の発令される大変な悪天候。

当初予定されていた木こり体験は中止となり、かわりに焼き杉のクラフト。

翌日の天気予報もあまり芳しくはありませんが、それでも、最終的なルートと持ち物の確認をし、ストレッチをしながら気持ちを高め、早めの就寝。

登山当日の20日は、4時半起床、5時に出発(少し遅れましたが)、もう一人同行してくれるスタッフと合流し、始発のバスで5合目まで。

けっして「富士登山日和」とは言えない小雨の降る中、そして、とても8月とは思えない肌寒い中での出発です(この日は、東京でもかなりの肌寒さだったそうですね)。

小学校2年から5年の児童8名と、親7名、スタッフ2名。レインウェアを着ると普段より幼く見える小さい人たちですが、一人一人真剣な面持ちです。

登り口で、ゴルゴと警備の方の会話を偶然耳にしてしまった私「この天気の中での登頂は無理でしょう。まあ、○合目までですね(←私にはよく聞こえなかったのですが、ゴルゴ曰く、新6合目と言われたそう)」。

登り始めてすぐに、ホールアース自然学校の方たちとすれ違いました。

大人のツアーでしたが悪天候のため、新7合目(ちなみに、富士宮登山道は、下から新5合目、新6合目、旧6合目、新7合目、元祖7合目、8合目、9合目、9合5勺、山頂となっています)で断念し引き返してきたそうです。こちらにその記録。

すれ違う下山の方は、ほとんどみなさん悪天候のため7合目か8合目で引き返してきたとのこと。それでも、「森のようちえん」ファミリーには、長い間かけて育てた気持ちと体力があります。そしてもちろん頼れるリーダーも。

降ったりやんだりの雨と、体温、体力を容赦なく奪って行く風。その中を一歩一歩進んで行きます。

森や洞窟を歩いたり、お百姓仕事でやってきたことは、全部子どもたちの身についていると感じました。

ホールアース自然学校の皆さんが引き返した新7合目は余裕で通過。

元祖7合目は、標高3010メートル。このあたりから、疲労の見えてくる人たちも。

余裕のある大人は、食べさせたり、酸素を吸わせたり、衣服をチェックしてやったり、他の子たちの世話にも回ります。

私にとっては初の3000メートル超えですが、恐れていた高山病の症状は、なし。

延々登り続ける。青いウェアに黄色いリュックが息子です。

一瞬の晴れ間(とは言っても曇り空)。これが一番見通しのよかった写真、こんなに人がいたんだ!。

そして雨。

8合目。標高3250メートルは、日本で2番目に高い南アルプスの北岳(標高3193メートル)よりも高い位置になります。息子はまだまだこの余裕。

しかし、もともと遮るものがなく風が強い富士山の、8合目より上はさらに風が急に強くなると言われています。

そして一足先にチェックに行ったゴルゴたちの判断。「ここより先は、一段と風が強くなり、これまでのように、時折止むこともなくなります。今見て来ましたが少し危険な状況なので、今回は、残念ながら登頂は厳しいかもしれません。それでも、もう少し先に行きたいですか?」。

全員「行きたい」と挙手。全員固まって行くと約束をし、さらに上へ。

この鳥居から先は、霊峰富士の中でも神様の領域だそうです。地図上でも、県境の線が切れており、静岡県でも山梨県でもありません。厳粛な気持ちで、失礼します・・・(しかし、すぐそこにある鳥居は、この程度しか見えないお天気です)。

もう、ここから先は、あまり長くは登れないだろう、と頭にもあったので、神様の領域は私自身の二つの祈りを込めて一歩一歩大切に登りました。

鳥居を過ぎて少ししたころ、今までよりさらに風の強い地点に到着。うっかりすると、大人でもふらつきそうな感じ。ここで、ゴルゴの勇気ある宣言。

「ここから先は、どんどん風も強くなるばかり。もう、みんな、3200メートル地点は超えたし、私ともう一人のガイドさんの二人だったとしても、ここで引き返します(←もちろん、体力的、実力的にはそんなことはないと思いますが、さりげない心遣いに感謝です)。

私は、他のツアーでもガイドの仕事をしていますが、今日のこの状況であれば、100%途中で引き返します。」みんなの顔に走る、残念そうな表情と、そして少しのホッとした感。

ただ「危険なので引き返します」と言われても、納得がいかないであろう子どもたち(そして大人たち)。危険のない範囲でこの強風を感じさせ、自ら判断できるよう、仕向けてくれたのは、本当に名ガイドだと思いました。

最年少の2年生の女の子は、途中辛くなって残念ながら下山しましたが(後から聞くと、なんと飴を喉に詰まらせて苦しかったそうです・・・笑。頑張り屋の明るく愉快な女の子)、それ以外は、元気な子も、辛かった子も含めて、よくここまで頑張りました。

雨、風が弱くなった合間を縫っての記念撮影(それでもこれ)。
登りも下りも、息子はしっかりとした足取りで、着実に大地を踏みしめていました。

そして、昨年のこともあるから、恐らく登頂できずにとても残念だったろうけれど、ゴルゴの決断に一つも文句を言うこともなく、後から泣きごとを言うこともありませんでした。

まだまだ肩幅など狭く、リュックが両肩からずり落ちそうな後ろ姿ですが、本当に頼もしく成長したと思いました。

私自身の個人的なことを言えば、少しずつでも重ねて来たトレーニングのおかげか、高揚感のおかげか、体力的なことで言えば全く辛いところはなく、恐れていた頭痛もありませんでした。

あの厳しい条件の中で、8合目超まで登ることができ、小さい人たちにも目を配る余裕があったことが、とても嬉しく感じられました。

宿に戻ったら、ありっちょ率いる宝永火口探検隊と途中で引き返した父子で、バーベキューの準備を整えてくれていました。感謝、感謝です。

親ばかだけれど、まだまだ余力はあったし、ここには書かないたくさんのことを我慢した息子には、本当に登頂させてやりたかった。

だけれど、自然に向かい合う、というのは、こういうことでもあります。私たちの今年の富士登山は、8合目超で終了です。

残念だけれど、悔いは残りません。下山後、なんと息子が近寄ってきて、「よく頑張りました」と私の頭を撫でてくれました(涙)。