ずっと昔、鍼灸師という仕事にあこがれていた頃、ある鍼灸師の方に、そんな話をしてみました。

「Chez MOMOさんは、きっととてもよい鍼灸師になれると思います。でも、人の悪い気を受けすぎてしまって、自分がダメになってしまう可能性が高い。私の同級生でも、鍼灸師としては優れているのに、患者さんのものを全部背負いこんで廃業した人がいます。」と言われました。

「癒し」のお仕事をされている方の中には、「癒し手」としては成功されているのにも関わらず、廃業されてしまう方が少なからずいらっしゃいます。

理由は、さまざまあります。例えば忙しくされすぎてしまったり、相談に来られる方の、健康でない「気」の影響を強く受けてしまったり、「滅私奉公」しすぎて、心身ともに疲れ果ててしまったり・・・。

昔から、「医者の不養生」とか、「紺屋の白袴」なんて言葉もありますよね(少しニュアンスは違いますが)。

私の卒業したISHL(International School of Homepathy, London)では、Practitioner Development (プラクティショナー=プラクティスを行う人、療法家、施術士、の養成)という授業の中で、こういったことに、どう対処していったらよいか、ということも学びます。

長く、健やかにホメオパス(あるいは、他の療法のプラクティショナー、施術士であっても)を続けていくために、とても大切な授業です。

色々教わる中で、「ホメオパス(あるいは、ほかのプラクティショナー)とクライアントさん(相談者さん)の境界」についても、自己内省をしながら学んでいきます。

** 夜中の1時に急に電話やメールが入ったら、どうするのか?

** 自治会やら、PTAの集まりやら、お酒や食事の席で、いきなり相談を持ちかけられたらどうするのか?

** 近所の人に「知らない仲じゃないんだから、無料(あるいは割引)にしてくれ」と言われたらどうするのか?

** すごく有名な俳優さんがクライアントさんとして見えたらどうするのか?

** 自分が日ごろ悩んでいるのと、同じような悩みを持った人が来て、ついもらい泣きしそうになったらどうするのか?

** 逆に「絶対にありえない!」というような、ひどいことをしている、という告白があったらどうするのか?

自分自身の傾向も分析しながら、(例えば、私は、感情移入してもらい泣きをしそうになってしまうとか、頼まれたら嫌と言えないとか、ついつい、お節介を焼きたくなってしまうとか、そういった傾向にあるように思います)シミュレーションをしたり、自分の気持ちの動きを分析したりします。

この作業は、クライアントさんとの良好な関係を持つために重要であるばかりでなく、ホメオパスとして、「Unprejudiced Observer」であるためにも大切なこととなってきます。

Unprejudiced Observer・・・ホメオパシーを学ぶ中でたびたび出てくる言葉です。「偏見なき観察者」と訳されますが、「偏見」という日本語は、ネガティブな意味も含んでいるので、少し受けるニュアンスが違うようにも思います。

私なりに「自分自身の心の物差し、色眼鏡を極力排除して、クライアントさんと向き合う」ということだと理解しています。

実は私、この「クライアントさんとの境界」を自分のこととして納得するのに、結構苦労しました。

「人として、義理人情に篤くあらねば」というようなことを、つい考えてしまうわけです。「ごもっとも・・・なんだけれど、それじゃあ、あんまり冷たい感じじゃない?」と思ってしまったり。

でも、回を重ねるごとに、少しずつ自分の立ち位置が見えてきました。

クライアントさんと向き合っている時、その方の深いお話がうかがえた時、どうしようもなく、その方が「いとおしい」という気持ちがわきあがってきます。

最初は、その気持ちが、冷静な判断を邪魔してしまうのではないか?と少し不安に思いました。

でも、私にとっては、その「いとおしい」という気持ち、もっと言うと「生きているって素敵」という気持ちが、その後の分析、レメディ選びをするうえで、大きなモチベーションとなるのです。

「いとおしい」という気持ち(もちろん、変な意味ではないですよ)、賛否両論あるかもしれません。

でも今のところ、私の中に湧き上がってくるこの気持ちを大切にすること(時には、夜中にレメディを持って駆け付けるようなことにもなってしまいますが)は、自分にとっても、クライアントさんにとってもよい結果をもたらしている気がします。

今後自分のスタイルも、少しずつ変わって行くのかもしれません。今は、このやり方、あり方を味わい、楽しみながらクライアントさんと向き合っていきたいと考えています。

・・・写真は、夫の実家の見事なキンカン・・・