保育園のお友達がアメリカに引っ越してしまうとのことで、我が家を会場に壮行会をやった。

小さい上に冷房もない我が家、どうなることかと心配したが、なんとかなってしまうもの。

結局大きい人10人、小さい人7人集まり、何がなんだかよくわからないけれど、それなりに楽しんでいただけたよう。

私も夫も、人の出入りの多い家に育ち、家に人を呼ぶことは嫌いじゃない。

私の実家は、駐在生活があったせいか、父の仕事関係の来客が多く、自宅で何百回も人をもてなしていた母は、ノートに日付、参加者の名前、メニュー、食べ物の好き嫌いなどを克明に記していた。

そりゃあ、大変だっただろう、来客前日くらいからは、ぴりぴりし、私や妹がぼーっとしていようものなら叱り飛ばされた。

そんな自宅での「お父さんのお客さま」が苦手だった私(お客様の前でピアノを弾かされることが、何よりも嫌だった)も、やはり血を引き継いでしまったのか、結婚当初たびたび人を呼んでいた頃は、

呼びかけ→返事がないことにやきもき

人数集計→確定できないことにやきもき

計画→何日も何週間も前から、何を作ろうかあれこれ考え、数日前から買出し、仕込み

掃除→これも何日も前から誰も見ることのないような押入れの隅から掃除を開始

当日も、時間を過ぎても誰も来ないとそわそわし、来客中も食べ物が足りていないか、汚れ物が放置されていないか、話に参加できていない人がいないかぴりぴりしたり、 絨毯にワインをこぼされると、「大丈夫、大丈夫」とニコニコしながらも、内心「どうやったらシミが取れるか?」と考えていたり・・・ ってな具合で、当日が終わるとぐったりしてしまうことが多かった(この記述だけ見ると、なんか嫌いみたい。人を招くことはすきなんだけれどね・・・)。

完璧主義と言えるほどに完璧に出来ているわけではないから、単なる見栄っ張りなんだろう。

実は、そんな自分に嫌気が差していたのも事実。 そのうち、友人の中にも子連れが増え、物事計画通りに行かないことを学び、息子周りのお付き合いが増えてからは、突然の訪問なども増え、大分ゆるくなってきた。

で、迎えた今まで最高人数の来客。

今回の私の課題は、「大らかに、多少ずぼらに、何があっても楽しもう」 !

参加者の申し出もあり、持ち寄りということで、我が家は当日火を使わないことにした。

少しでも涼しくするために、朝から何度も打ち水をし、床を水拭きし、全ての窓を網戸にして扇風機とサーキュレーターを回した。 冷たいパスタ2種、ラタトゥイユ、フォッカッチャ、パン2種、豚肉の紅茶煮、キッシュ、豚肉梅しそ巻き、水茄子のしそ和え、五目ちらし、焼きそば、杏仁豆腐にゼリーと、さすが母ちゃんたちって感じのにぎやかなメニューで、みんなお腹一杯食べた食べた。

子どもたちは、近所中に聞こえる声で騒ぎ、太鼓をたたき、はだしで家中から外から回遊し・・・いやはや楽しそう。

保育園の子どもたちの面白いところで、一つのおもちゃに人気が集中すると、自然に列ができる。 お父さんたちと空き地に遊びに行った(この間は、当然お母さんたちの赤裸々なトークタイム)かとおもったら、それぞれ両手一杯の猫じゃらしを抱えて帰ってきて、家中種だらけ、虫だらけ。

壁にも手形がぐんと増え・・・。写真は、手と足を洗う子供たち。我が家の洗面所の人口密度はMAX。

それでも結構笑って放っておいている自分がいた。

さすがに皆が帰り一通り掃除をした後はぐったり疲れて、3人で月を見ながらお素麺(そんなことになるだろうと、麺つゆは昨日のうちに作っておいた)。

ずぼらにやる予定だったから、今日は休みを取らずに出社・・・を少々後悔。 でも、会話に参加し、楽しめたのは事実なので、まあよしとしよう。

みんな、楽しんでくれただろうか?不手際はなかっただろうか・・・?ということも、くよくよ考えないことにした。
と言うわけで、嵐が去った我が家は、ちょっぴり貫禄が増した気がする。 (あぁ、一週間、乗り切れるかな・・・)