前編は、こちらをご覧ください()。

初夏になる頃、おぼろげながら気になる学校がいくつか出て来、夏休みに入る少し前くらいに初めて模擬試験を受け、自分の今いる場所を知りました。

夏休み、息子は、運動の合宿を最優先させると決めたので、希望していた修学旅行に行くことはできませんでした(中学生は、どの学年ででも、何回でも国内あるいはイギリスの修学旅行に行くことができます)。

ですので、夏休み中は、2回の合宿(23日と34日)と練習、ペースメーカーとしての週2回の塾以外は、自室で勉強したり、料理をしたり、時々夏休みらしいことをして遊んだりしていました。

時々怠けたくもなるものです。実は、とあることで父親にこっぴどく叱られた場面もありましたが、「一緒に決めた大切な約束事を守らなかった」ためでした。

 

運動のスクールでは、スポーツ推薦で進学する子も多く、コーチから、「内申はどれくらいなのか」と何度も聞かれていました(息子の競技のスポーツ推薦は、一般推薦よりも早く行われます。通常の推薦では、そこまで急かされることはないはずです。息子は、まだスポーツ推薦にするかどうかは決めていません)。

何度も書いているように、息子の学校にはいわゆる成績表はなく、期の終わりには、1つ1つの活動や教科に対する丁寧なコメントが文章でびっしり書かれた記録をいただきます。毎回とても感動する内容なのですが、数値としては出てきていないのです。

 

もちろん、いざ入学審査となった時には、推薦であれ受験であれ、世の中の形式に則った形での数値が出てくるのですが、少なくとも現段階で子どもたち(そして親)がそれを知る必要はないとの判断から、今まで知らされたことはありません。自分でだいたいこんなものかな?と判断してね、と言われています(笑)。

 

この学校に通わせると決めた際、いずれこのような時が来ることはもちろん予想していました。進路について、あるいは学校で大切にしていることと世間のそれとのギャップについて、考える時が来るであろうことを。

 

わたしは、自分自身が中高生時代に父の仕事の事情があり、日本の一般的な教科書を使った教育を受けていません。

ですので、時として中学校の教科書に書いてあったはずのことをまるっと知らなかったりもします。ちょこっと恥をかいたこともあると思います(あまり覚えていませんが)。

それでも、大人になってから自分が大切に思う人たちと出会い、会社員時代も今も自分が心から好きと思える仕事をして、それなりに世の中の役に立つことができていると思っています。

ですので、たとえ一般的な教育を受けなかったとしても、だからと言って言い方は悪いですが「道から外れてしまう」ことはないと考えています。

 

ほかの人と足並みを揃えて教育を受け、ほかの人より一歩でも抜きん出て「学力」の高みを目指すよりも、自分が本当にやりたいことを見つける方がはるかに重要と思えましたし、そのために多少の回り道があっても良いと思うのです。

 

息子は、小学4年生の終わりに「100億万パーセント、この学校に行きたい」と言ってこの学校に編入しました。甘えん坊のひとりっ子が、初めての寮生活、長距離の電車通学、普段とかなり違う食事そのほかにもたくさんたくさん不安はありました。

最初の頃は、わたしの作ったヴァルドルフ人形(シュタイナーの手作り人形)をリュックに忍ばせて持って行き、ベッドで泣いたりもしていたようです。小さい子と違っておおっぴらに泣けない苦しさもゼロではなかったと思います。でも、全部この「100億万パーセント行きたい」があったからこそ乗り超えられたのだと思っています。

 

高校進学、そしてその後の進み方を決める上でも「100億万パーセント行きたい!」に出会ってくれたらいいな、長い目で見て息子の人生にとって最善のことが起きるといいな、と願ってやみません。

 

息子は、「世間」に飛び出して行くことを決めました。どこに行くことになるのか、あるいは、もしかしたら高校受験というものに「失敗」して、どこにも受からないかもしれません。

親として出来ることは、世間一般の価値観からもうしばらくの間息子を守ってやること。それは、「受験勉強は、あなた自身の価値を作っているものではないし、たとえ受験が思うように行かなかったとしても、それは、あなた個人が否定されたわけじゃないよ」と言うことを心から信じ彼に向かって発信し続けることだと思っています。

学校で育てられた「失敗は許される、何度でもチャレンジすればいい」と言う気持ちも、潰さないように意識していようと思っています。

 

まだまだ先が見えない状況で、このようなことをオープンにするのは適切ではないかもしれません。息子のプライバシーも本当はあまり明かしたくはありません。

わたしにとっても勇気のいることです。

 

でも、考え方にはバラエティがあった方がいい。こう言う見方があるよ、と言うことが少しでも広がったら、楽になる人もいるかもしれない、平和な世の中に繋がるかもしれない、と思って発信しています。

「自由な学校」で学ぶと決めた、息子の15の夏でした。

月曜日の夜の学校。温かい灯がもれていました。

前編でも書きましたが、これは、あくまでも息子個人のことなので、全ての方に当てはまるわけではないと思います。

 

もっともっと、一般的な社会や家庭で、1つの選択肢として、このような「自由な教育」の考え方がすこしずつでも広まってほしい、という思いで書いています。

 

一般的な学校であったとしても、親の考え方が1つ、伝え方1つで物事の見方をガラリと変えることができると思っています。一人ひとりの力は小さいけれど、集まれは世の中を変えることができると信じています。