駆け抜けた1年の、ラストの2か月のさらにラストスパートの1週間が少し前に終わりました。
この学校での生活を味わい尽くしたいと、息子は静かに熱く燃えており、わたしも伴走していました。
わたしは、寮生の母としては、かなり頻繁に学校に顔を出す方だったのではないかと思いますが、特にこの2か月は、参観2回、0から食堂、0からカフェ、こどもけもの学校報告会、卒業を祝う会、発表DAYと、中学生ばかりでなく、小学生たちともすっかり顔なじみになるほど通いました。
これに加え、以前に所属していたラグビースクールの卒業試合やら、卒業式やら、遠く離れた高校の入学説明会もあり、記憶が飛んでしまっている部分もありますが、記録として書いておこうと思います。
<卒業を祝う会>
入学を祝う会、卒業を祝う会は、全校で祝うので、該当学年ではなくても、毎年参加しています。
希望する子たちが実行委員となる手作りの会は、毎回心がじんわりと温かくなります。
当日FBに投稿した記事をそのまま転載します。
***
嗚呼、卒業式。
あっという間に来てしまったこの日。
すこーんと晴れた、南アルプスらしい空の下、何度も参加したこの学校らしい手づくりの温かい日。
ありがたくて、でも寂しくて、言葉にならない。
こんなに大きくなって、あと1週間で義務教育を終える。
あっという間だったなぁ。
おめでとう、おめでとう、おめでとう。
10歳の時に、色々な体験ができそうなこの学校に100億万パーセント行きたい!と言って仲の良い友だちのたくさんいた学校から転校して寮に入った。
高校ではまた、ラグビーと勉強を両立できる自由な校風の学校に行きたい!とはじめて足を踏み入れる県の誰も知っている人がいない学校に飛び込むことに決めた。
勇気ある君を尊敬する。
これからは、その勇気を、弱い人、正しいことのためにも使ってね。
式が終わってひとしきり写真大会が終わった後は、着替えて在校生と一緒に軽トラに乗って後片付け。
笑顔でよかった。
***
そしてその3日後は、報告会。
いのちをいただくのところでも触れている「こどもけもの学校」は、学校のプロジェクトの中の活動の一つである「こどもけものクラブ」が地域のいくつかの団体と共同で主催している地域の方に向けた活動です。
助成も受け、また、たくさんの方々に協力もしていただいているので、平日の夜に地域に向けての報告会も行っているのです。
築山(つくやま)という里山の古い民家を大変な思いをして改修した小学生のプロジェクト(クラス)「クラフトセンター」による1年の活動報告と、息子たち中学生のプロジェクト(クラス)「くらしの歴史館」の報告でした。
公民館の部屋にぎっちりと人が入り、前半は小学生の発表。
2年前からボロボロの民家を改修しており、それはそれは大変なことをニコニコと楽しそうにやってのけているのですが、改めて聞くと本当にすごい!
今年は、Gだらけのキッチンのリフォーム、昔ながらの瓦(杉の皮や土の基礎の上にいく種類かの形の瓦が600枚乗っているのだそうです)の葺き替え(!!!)、物置小屋の改修、展望台の建築、そしてカーテンづくり、階段の手すりづくりと盛りだくさん。
チームに分かれて行った活動を、写真とともに報告してくれたのですが、本格的と言って想像するのさえはるかに上回るような活動を、自分たちの言葉で報告していたことが本当に印象的でした。
場があって、好奇心とやる気があったら、小学生と言えどもすごいことをやってのけてしまうのだなぁ、とただただ感心しました。
そして、中学生。
こちらは、本質に迫る、深みのある発表でした。
最初にざっと1年間の報告(畑の様子、カメラの設置や現地調査などでわかったこと、試行錯誤の様子、対策などなど)を行った後に、ガタガタと配置換え。
「いのちの裁判」という劇でした。
(写真は、後日の発表DAYより)
原告=動物
生きるために餌を食べていた家族が、何の前触れもなく殺されてしまった。
畑を作っても放棄し、荒れ地になっているから野山と見分けがつかないのに、そこのものを食べると殺されてしまう。
クリーンなエネルギーだとか言って、森をどんどん伐採してソーラーパネルなんていうものを設置してしまう。
森を返せ!家族を殺した人間に極刑を望む、という訴え。
被告=人間
苦労して育てた作物を、勝手に食べないでほしい。作物がダメになって大損!
耕作放棄地と言ったって、人間のもの、動物は森の中にいるべき。
人間ファースト!
粗削りではあるけれど、緊迫感のあるやりとりが続き、ドキドキする中で、最後は問いかけで終わりました。
活動の中で実際に体験し、深く考え、農家の方、役所の方のお話も聞き、さまざまな角度から見ることで「自分ごと」としてとらえていた結果の仕上がりだったのだと思います。
すごかった!
ここのところずっと0からの食堂やカフェの活動をしてきたから、報告会に関しては、ほとんど打ち合わせたりまとめたりする時間もなかったなか、それでもきちんと厚みのある発表に仕上げたのは、本当にこの学校の教育のたまものだと感じられました。